死に方は選べないけど、生き方は選べます

なんか、ちょっと重いタイトルではありますが・・・

実は、私自身が重いアロマセラピストなのだと思うんです。

 

体重も増えましたしね・・・

 

 

 

違う・・・

いや、違わないけど、そうじゃなくて・・・

 

 

私はホスピスでのアロマトリートメントをしていまして・・・

今はコロナ禍で行けないのですが、ホスピスで施術をしたり、葬儀の司会をしたりして

「生と死」というのを考えることがたくさんあるのです。

 

 

そんな私が、先日、全ての予定をキャンセルして伺ったのがこちら。

 

 

私がホスピスですごーーくお世話になった看護師さんです。

 

お顔をみた瞬間、「え!?小池さん!?」と思い・・・

小池さんに会いたくて、向かいました。

 

 

曹洞宗の法話会なのですが・・・

葬儀司会でお世話になっているお寺様も多数出席のようですし

ホスピスでお世話になっている小池さんの講演もあるし・・・

 

 

そりゃ、やっぱり行かねばならん。

 

 

 

この講演で小池さんがおっしゃっていたのが「死に方は選べないけど、生き方は選べる」ということでした。

 

そうだよね・・・

 

以前、新潟にお招きした本願寺派のお坊さん、古川潤哉さんが「生と性と死」の講座の中でこのような話をしていたのを思い出しました。

例えば、自死。

選んだ死のようにみえるけれど、そうせざるを得ない状況にまで追い詰められて、

そして、どうしようもなかったことであり、決して選んだ死に方ではない・・・とお話していました。

 

 

なので、どのような形であっても「死」は選べないのだと思うのです。

 

 

生きている限り、必ず「死」があります。

生きることの最終形態が「死」なのかな・・・と、私は思います。

 

 

では、あなたはどのように生きたいのですか?ということです。

 

 

これ、結構重いテーマだと思うのです。

 

アロマセラピストって、もうちょっと軽くてキラキラしているほうがいいのかもしれないのですが

私はどうしても、この「死」というテーマが気になって仕方がないようです。

 

 

「死」を考えるからこそ「生」が見えてきます。

「生」が当たり前ではないのに、なぜか当たり前のように思ってしまう。

 

 

 

どう生きるかって難しいかもしれないけれど、「死なないように生きる」のか

「死んでも悔いのないように生きるのか」って全然違う気がします。

 

 

どちらがいいのかはわかりませんが、いつか、必ず訪れる日のために、今、何ができるのか。

何をしておきたいのか。

何が大切なのか。

 

 

そんなことを考えてみる日があってもいいんじゃないのかなって思います。